「マハーサマーディ」という言葉をご存知でしょうか?
マハーサマーディとは、ヨガの世界で使われている言葉で、悟りを得たヨギが自らの死期を悟り、深い瞑想の中で意識的に肉体を離れることを指すとされています。
私は昔から、このマハーサマーディという死に方にとても惹かれてきました。
死というと、多くの人は「怖いもの」「できれば考えたくないもの」と感じるかもしれません。
しかし、自分の死を恐れるのではなく、最後までしっかりと意識を持ち、静かに瞑想に入り、そのまま肉体を離れていく。
もしそのような最期を迎えることができるのであれば、私にとってはとても理想的な死に方です。
パラマハンサ・ヨガナンダの最期
マハーサマーディについて知る中で、私が特に興味を持った一人が、インドのヨガ行者パラマハンサ・ヨガナンダです。
ヨガナンダは『あるヨギの自叙伝』の著者としても知られています。
この本は私も大好きな一冊です。
ヨガナンダは1952年3月7日、ロサンゼルスで開かれたインド大使を歓迎する晩餐会に出席し、その場で亡くなりました。
その最期は、ヨガナンダの教えを受け継ぐ人たちの間では、意識的に肉体を離れた「マハーサマーディ」であったと伝えられています。
また、死後のヨガナンダの遺体には長期間にわたって目立った腐敗の兆候が見られなかったという記録も残されており、そのこともヨガナンダの死をめぐる有名な話の一つになっています。
ヨガナンダの師であるスワミ・スリ・ユクテスワ、さらにその師であるラヒリ・マハサヤについても、マハーサマーディを迎えたと伝えられています。

私が理想とする死に方
そして私がさらに惹かれているのが、マハーサマーディの中でも、肉体さえ残さずこの世を去ったと伝えられるような究極の在り方です。
霊性を高めた人の中には、死を迎えるときに肉体そのものまで消えてしまったという話があります。
一般的な常識から考えれば、にわかには信じられない話かもしれません。
それでも私は、もし自分にもそのようなことができるのであれば、肉体さえ残さずこの世を去りたいと思っています。
私にとっては、それが理想の死に方です。
もちろん、実際に自分がそのような最期を迎えられるのかは分かりません。
それでも、そうした境地を目指して自分自身を高めていくことには意味があると私は思っています。
死について考えることは、生きることを考えること
私たちは「どう生きるか」については考えても、「どう死ぬか」について真剣に考える機会は、あまりないのかもしれません。
死に対して恐怖を感じる人も多いでしょう。
できれば考えたくないと思う人もいるでしょう。
しかし、死は誰にでもいつか訪れます。
それならば、死をただ恐れたり、考えないようにしたりするのではなく、一度きちんと向き合ってみてもいいのではないでしょうか。
自分はどのように生き、どのように人生を終えたいのか。
死について考えることは、今をどう生きるのかを考えることにもつながるように私は思います。
私自身、これからも瞑想を続け、自分自身を高めながら、いつか迎えるそのときまで、自分なりに人生を歩んでいきたいと思っています。
皆さんは、どのような最期を迎えたいと思いますか?