父の見送りも一段落つき、ゆっくりした気分で先生にご報告のメールをしています。
父は亡くなる1時間前には自分でトイレに行きました。その後にまた少し眠ったあと、ベッドから半分落ちた状態から戻ろうと母の助けを借りながらの最中に、心臓がフッ…と止まったようです。
あまりにも日常動作の中でのことだったので、苦しみもなく旅立ったかと思います。
ちょうど新月ヒーリングのあとでしたので、安らかに旅立てたんだろうと母が言っていました。
希少がんで治療法が確立していない中、ステージ4で半年の余命宣告が、転移もなく約9年間最後まで自宅での自立生活ができました。
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長くなりますが、改めて父の9年間を振り返らせてください。
いちばんに思い出すのが、半年の余命宣告を受けたときのことです。(父、当時80才)
治癒が見込めないなら、心やすらかに残りの時間が過ごせるようにと、先生にサポートをお願いしました。すると先生からは予想外のお返事が。
「諦めるのは早いのではないでしょうか」
その言葉にわたしはハッとし、希望へとシフトできたのです。
治療が功を奏するかわからない中で、抗がん剤投与を開始。同時進行で連日のヒーリングをお願いしました。
最初にビックリしたのは、がんの影響で出なくなっていた声が、1ヶ月で元に戻ったことです。
主治医からは、声は戻らないと何度も言われていたのに‼
抗がん剤の副作用として、味覚が変わる・手の爪が少し黒ずむなどがありましたが、一時的なものでした。
気分が悪くなって寝込むなどもなく、むしろ変わらず元気‼
抗がん剤治療中も泊まりの旅行にも出かけていました。
計画的な治療を約2年間続け、病巣は約半分のサイズになりました。
その後、最後の治療として、いちかばちかで免疫療法をすることに。
早々に薬疹が出て生死の淵を2週間彷徨いましたが、兵藤先生の懸命なヒーリングで見事に復活‼
以降、亡くなるまでの約6年間は無治療でした。
最後の数年間、原巣は時間とともに少しずつ大きくなり、それに伴う体調の変化も出てくるようになりましたが、だからといって特段キツイというわけではないようでした。
小旅行や食事会、ボランティア活動の指揮をとるなど精力的な毎日。
主治医はじめ複数の医療関係者が「あの症状であんなに元気なことが不思議‼」と言いました。
あの症状とは「いつあの世にいってもおかしくない」という意味です。
また、わたしの会社の経理事務の仕事もキッチリこなしてくれていました。
父との最後の会話は、亡くなる前日、確定申告についての話なのです。
そのくらい日常生活が出来ていたという、ヒーリングの絶大な効果を実感できるエピソードだと感じています。
終末期の4ヶ月間は訪問医療チームの方々から、呼吸状態の診察や歩行リハビリなどのケアを受けました。
その中では暖かい心の交流に支えられ、愛情いっぱいの中で安心して旅立てたかと思います。
89歳と8ヶ月、見事な大往生でした。
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すべてが奇跡的な9 年間でした。この9 年間のおかげで、私も晴れやかな気持ちで見送ることができました。
長い間サポートしていただき、本当にありがとうございました。
わたし達家族も、引き続きこれからもどうぞよろしくお願いいたします。
(父は1月20日に亡くなりましたが、父のカレンダーに1月25日ヒーリングと予定が書いてありました。本当に毎回楽しみにしていました。魂も喜んでいると思います)
(関東方面への遠隔気功ヒーリング Hさん)